
「ソッコウゼツ」
どういう字を書くのかはわからない。
本日、知人の子どもたちに教えてもらった言葉。
時代、年齢、性別など、それぞれにあった言葉が日々生きている。
わたしは小中高校生のころ、かたくなに、流行り言葉は遣わない、と思っていたが、
いまの歳になって、過去のわたしをみれば、
すでにその思考が流行り言葉に敏感になっている証拠だなあ、
といとおしく感じる。
最近は、10代の子とそうそう会話する機会がないので、
ときより聞く、彼らの言葉は新鮮で、胸が踊る。
わたしも、いまの流行り言葉を遣ってみたくなり、彼らとの会話の中で早々に使うと、
子どもたちからやさしい指摘をいただき、用法を教えられる。
言葉はむづかしい。
だけれど、気持ちをのせて話した言葉が、
自分の思いのまま他者に伝わり、受け止めてもらえたとき、
相互の垣根がなくなる。
近しい関係ならば、共有するよろこびを感じ、
距離のある関係ならば、相手を知るよろこびを感じるのではないだろうか。
一方、個々に勝手な解釈した言葉は、意図しない方向へ独り歩きし、
相互に誤解を育てることもある。
好き、嫌い、おもしろい、つまらない、きれい、汚ない、かっこいい、ださい、おいしい、まずい、やさしい、意地悪・・・
などの感情をもつのが人間だけれど、
自分が言われて嫌な言葉を、
他者へ遣うようなデリカシーがない人にはなりたくないものだ。
常用言葉も、流行り言葉同様、用法を守る。
それは、相互の距離に関わることだけれど、
他者の価値観を尊重したうえで、
相互にとって気持ちのいい言葉を選べば、
世の中から争いは消えるんだろう、
とふと感じた。
ちなみに、「ソッコウゼツ」とは、
ゲーム上で速く返信できる、という意味らしい。
そう、子どもたちが説明してくれたものの、わたしの大意はゲームへの知識不足ゆえ、ただしいかはわからない。