SNSの投稿で「stayhome」というハッシュタグをつけている人が増えている。
実際は「自粛要請」というよくわからない日本語。
つまりは「外出禁止」を「stayhome」と呼んでいるのか。
わたしなどは「#stayhome」と見ると、
外出時、「一緒に行きたいよ」と玄関からすり抜けようとして、
引き戻される、うちの愛犬を思い出す。
クンクンと鳴く声を背にしながら玄関を閉め、
「ごめんね、お留守番」といいながら毎度軽い罪悪感を抱いていた。
さて、SNS上の表現を見ていて気になるのは、
一応に「ポジティブな表現」を必要以上に多くの人が使うこと。
”ポジティブ”であることが間違っていると言っているのではなく、
ポジティブを装うことで、人はよりしんどさを感じるのではないだろうか。
わたしは有事のとき「ポジティブ」よりも「リアル」が知りたい。
事実を知らなければ、何も解決できないから。
ポジティブは素敵だけれど、
リアルを知った上でのポジティブのほうがもっと素晴らしいと感じる。
「ポジティブ」「ネガティブ」は比較され、
ポジティブでいることは”良いこと”と思われがちだけれど、
無理矢理「ポジティブ」を装うのは不自然で、
非常に屈折した形の「ネガティブ」だと思う。
そもそも「ポジティブ」も「ネガティブ」も人間がもつ感情で、
どちらがいいか、なんてことはない。
世間を、周囲を、人をうらやんで、ネガティブな部分を出せるからこそ、
前向きに進むポジティブだってある。
「国民の生活を補償しろ」
有事に、主権者である国民が、公僕である国に対して、こう言えるのは逆に健全だ。
コロナ騒動で、自分の不安や不満に見て見ぬふりしてまで、
誰かにとっての「いい子」でいる必要はない。
政府やマスコミがテレビなどのメディアで流す情報からは事実が見えない。
実際、日本におけるコロナの検査母数はどれだけなのか?
毎日、メディアから流れる「東京都何人増えました」と聞かされても、
これまで検査していなかったわけで、
どんどん増えるていくのは当たり前だとわたしは思う。
とにかく、事実のみの報道と、
政府の明確な施策を早急にお知らせいただきたい。
そして、わたしたちができることは、
自分の思考を信じ、他者へのおもいやりをもつこと。