散歩で思う、コロナ禍の日々

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春の陽気はうつろいやすい。
激しく降る春雨かと思えば、
清々しい青空の春日和。

気まぐれな空模様では、お日様が顔を出せば、全身に光を浴びたくなる。

とはいえ、このご時世。
ちょっとした外出でも、うしろめたい空気がまとわりつく。
「運動」などと理由づけして出る散歩には、
なんとも味気ない気分になる。

道すがら、
ジョギングやウォーキング、買い物をする人々をみかけ、

「一日中家でじっといるのは、
案外現代人にとって苦痛なのかもしれない」

などと思う。

実は、これまで当たり前に受け取っていた「自由」は
当たり前ではない。
先人たちが「思想の自由」を守ってきたからこその
「自由」だと、身をもって知る事実に、身振いする。

それにしても、昼間の街を歩いていると、ホッとする自分に気づく。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の発令で、
お店の休業や短縮営業がはじまってから、夜道がより暗く怖い。

夕暮れ過ぎになると街から人は消える。
暗闇が住宅街を覆うと、
シーン、という音が聞こえそうなほど、街中が静まり返る。

たとえ見知らぬ人であったとしても、
たとえ人との接触8割減でも、
そこに、誰かがいるというだけで、人は安心する。

「stay home」一色の今、
もはや、散歩は最高の娯楽で、
2メートル先にいる人をみて、存在によろこぶ。

そして、歩きながら、こう思う。

今の自分の顔は、
嬉々としながら散歩へ行く、うちの犬の顔と同じではないだろうか、と。

kuriguri について

池袋と渋谷を拠点に活動する 副都心線を愛するくりぐりが、 日々の情報を毎週月曜から金曜までアレコレ発信!

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